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馮太后①(前半):中国歴史ドラマ『王女 未央』

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『王女 未央』、家族スピさん達とわくわくしながら観ました。

実は、『王女 未央』、最初1、2ぐらいは、さほどおもしろいと思わなくて、主演のティファニー・タンさんもそれほどきれいと思わなくてノーマークだったのですが・・・

なんと主演のこのお二人(ティファニー・タンさんとルォ・ジンさん)、ご結婚されたそうなんですよね^o^/

なんかヘンな入り方だったのですが、「へーーー」っと、なぜかそれから気を入れて見るようになって、そのうちにティファニーさんとルォ・ジンさんの見た目の美しさと物語の面白さがよく分かってきたの・・。

いやいや~ 美男美女ですよねぇ・・(うっとり・・)。

もうそれからは、『王女 未央』にどっぷりはまったのでした・・。






さて、霊視に入りましょう・・。

この物語で霊視したい人物は、おもに二人、未央(文成文明皇后=馮太后)と文成帝を中心に実際の登場人物や時代背景などパラレルの神様に教えてもらいましたよ・・!




(※まず、その前に、参考資料として、下記のウィキペディアの概要をお読みください↓)


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E6%88%90%E6%96%87%E6%98%8E%E7%9A%87%E5%90%8E 以下、wikipedia より抜粋:


文成文明皇后

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

 

文成文明皇后(ぶんせいぶんめいこうごう、442 - 4909月)は、北魏の文成帝の皇后。馮太后(ふうたいごう)と称されることが多い。

 

 

 

生涯

父は秦州・雍州刺史馮朗。母は王氏。父の家系は五胡十六国時代から南北朝時代初期にかけて遼東を支配した北燕の皇族であるが、この北燕は北魏により滅ぼされ、馮朗は北魏に降って重用されていた。しかし馮朗は罪を問われて誅殺され、身寄りをなくし幼かった馮太后は、北魏の太武帝の左昭儀(後宮における称号で皇后に次ぐ地位)だった叔母の馮氏に従って後宮入りした。14歳の時、太武帝の孫で第5代皇帝である文成帝の貴人となった。後に皇后となるが、文成帝は465年に若くして崩御し、彼女は悲しみのあまりに文成帝の遺体を火葬する際に火中に身投げしたが救出されて一命を取り止めた。

 

文成帝の跡を継いだ息子の献文帝の代には、義母として皇太后として補佐にあたった。しかし献文帝が成長するにつれて対立が生じ、皇太后は献文帝を脅迫して471年には息子の拓跋宏(孝文帝)に譲位させた。しかし献文帝も報復として太皇太后が寵愛していた家臣李奕を殺害したため、476年に献文帝を毒殺し、北魏の政権を完全に掌握した。

 

太皇太后は抜群の政治手腕を見せた。484年、同姓不婚・俸禄制・均田制・三長制・租調制など様々な政治改革を行ない、北魏の全盛期をもたらした。一方で丞相乙渾など政敵に対しても容赦なく処分し、謀反の目を事前に摘み取る切れ味も持っていた。

 

晩年の太皇太后は寵愛する家臣だけを側に侍らせ、斉の使者が美男子だったことを知ると自らの宮殿に閉じ込めて帰還を許さなかったなどの行状も伝えられている。4909月に死去。享年49

 

人物

文成文明皇后は事実上の北魏の女帝として抜群の政治力を見せている。彼女の施策は孝文帝により受け継がれ、北魏は全盛期を迎えることになった。

 

異常に権勢欲の強い女性であったと列伝に記録されている[1]

 

文成文明皇后と孝文帝[編集]

 

 

 

母子説

文成文明皇后と孝文帝は系図の上では血の繋がりは無いとされている。ただしこの両者は母子だったのではないか、とする説がある。

孝文帝が生まれた467年、父親とされる献文帝は満年齢で13歳で、当時とはいえ子を成すには早すぎるという点[2]

太皇太后の死後、孝文帝が義理の祖母のために重臣の反対を押し切って、中国で本来は自らの父母に対して服する喪である「3年の喪」に服した点(ちなみに孝文帝の生母とされる思皇后李氏は太皇太后により殺害されている)[2][1]

孝文帝が太皇太后の死去まで自分の産むところを知らなかったとある点[注釈 1][1]

孝文帝が太皇太后の一族を厚遇する一方で、自らの生母とされる思皇后と李氏の一族を冷遇した点[注釈 2][1]

権力欲が異常に強かったとされる太皇太后であるが、467年に孝文帝が生まれると同時に、何故か彼の育児に専念して政務を一時的に離れている点[1]

当時の史書が太皇太后と孝文帝の関係を「母子」と表現している点[1]

 

 

父親は誰か

孝文帝の父親は献文帝とする説が根強い。これは当時、皇太后の勢力が伸長してその圧力があったとしても、北魏を支える鮮卑の重臣が皇位継承の正統性のない、あるいは疑わしい太子への譲位を認めるはずがないからである[3]。献文帝が太皇太后の圧力により譲位を余儀なくされた際、献文帝はせめてもの抵抗として叔父の京兆王拓跋子推に譲位しようとしたが、鮮卑重臣の多くが「父が子に位を伝えるのは古来からの定めであり、北魏においてもしかり。皇太子は正統にして聖徳はつとに明らかである」と反対し、孝文帝への譲位を求めている[3]。太皇太后の没後から6年後の496年に孝文帝の漢化政策に反対する鮮卑重臣が反乱を起こし、その際に反乱軍は孝文帝の皇太子の元恂を旗印にしているが、孝文帝の政治路線に反対する派閥がそもそも正統でない孝文帝の長男を擁立している点なども考慮されている[3]。ちなみに太皇太后の夫であった文成帝の可能性は全くない。何故なら文成帝は4655月に崩御しているからであり、4678月に生まれた孝文帝の父親としては説明がつかない[4]

 

献文帝は467年の段階で満で13歳、皇太后は26歳であった[4]。ただ、北魏の皇帝は多くが若年で子を成しており、献文帝は父親が15歳の時、文成帝は13歳の時に子を成しているので別段不思議でもない[4]。これはすなわち胡族の間にある、父親の生前の夫人がその跡を継いだ子の妻となるという風習(生母は除かれる)、つまりレビラト婚の風習だったのではないかとされている[4]

 

ただ一方で、献文帝は太皇太后により毒殺されているのに、孝文帝が何故生前ならともかく、没後も太皇太后やその派閥や徒党を処分しなかったのかとする疑問もある[5]。これに関しては、漢化政策を推進する孝文帝が人一倍孝養の念に厚かったため、とされている[5]







↓ さっそく、神様(天界・神界)に霊視で視せてもらいましょう・・!




●未央(文成文明皇后=馮太后)

まずは、ヴィジョンにより視せていただいた実際の文成文明皇后なんですが・・


っっ・・ 小柄な少女のような容姿・・(中華系というよりも、日本人的な落ち着いた幼い顔立ち。一重まぶたでも目は小さくなく、少女のような落ち着いた淡々とした品のある顔立ち・・なかなか賢こそうです。※注:入内した頃のヴィジョン※)

パラレルの神様のお伝えするところによれば・・

「”中学生”のような容姿の女性であるが、頭はピカ一。軍略家的な素養のある女性。」とのこと。

この ”軍略的な素養のある” という箇所をよく覚えておいてくださいね、後々説明しますんで・・





●文成帝

ウィキディアによれば、仏教を保護し、おだやかなイメージのある文成帝ですが、パラレルの伝達によれば罪には相応の極刑を課す、という容赦ない面も持っていたようですが、安定した治世を築いた。

(※為政者には、いろんなタイプがいますが、正しい政治を行った帝ですね。)


中華系美男子ルォ・ジンさんが演じていましたが、実際は・・

「ずんぐりしたおじさん」のような容姿の男性・・。

(若くして亡くなられていますけど、おじさんのような容姿の男性だったようです)

(身だしなみをちゃんとした衛生的なタイプだったみたい・・ えぇ まぁ やんごとなき御人なので・・・ )




●李長楽(チャン・ルー)

李貴人のことなんだと思います・・(献文帝のお母さんの・・)。

実際の李長楽は、わりあい社交家で気取らず、派手な道楽好きの女性・・、とのことです。

な、なるほど・・。いわゆるあか抜けた気の利いた女性、、とかそんなところですかね・・。

ドラマでは悪女として描かれてますが、とんでもない・・





うーーん・・、

ドラマと実際では、ストーリー設定がだいぶ違うところもあるようですが、

(!!※馮太后と文成帝さんお二人の御霊は、ドラマと史実があんまりにも違っている!、もう少し史実に近いドラマはないのか・・!!と訴えております・・!)



実際は、未央は、李家に入っていたというのはもちろんナシで、叔母の馮氏が魏の皇帝に嫁いでいた=つまり、魏の有力皇族の姪っ子だったわけですね。未央は、北燕の皇族の娘、にあたるのですが、北魏に滅ぼされ、父の馮朗は罪状により殺されて、身寄りを亡くした幼い未央は、北魏皇帝に嫁いでいた叔母の左昭儀・馮氏のつてで北魏の宮廷に入ったのですが、左昭儀・馮氏の権勢もあり、北魏の宮廷でもずいぶん可愛がってもらったようなんですよね・・霊視によれば・・。

文成帝も、「かわいい」って思ったみたい・・。



その縁故で魏の後宮に入ったわけだから、そんなわけわかんないアドベンチャー的設定で李家になぞもちろん入っていなくて、

滅ぼされた属州の有力貴族の娘が、普通に魏の後宮に輿入れしたわけ・・。

由緒正しい人なんですよ・・  馮太后は・・。




(ちょ~っとねぇ、ドラマを盛り上げようと、設定が実際とすごく違っているようなんですよね・・)

(↑お二人も、そこの辺りが不満みたい・・ ドラマ自体はおもしろいですけど・・)




私はね、物語を離れてウィキペディアで語られている ”史実” のところで、もしかしたら、実際は、文成帝は、側室である李長楽のほうを寵愛したのでは・・? なんて思ってたんです・・。

(李貴人(=李長楽)は、史実※伝えられているところによれば、大変な美女で有名だったようなので・・。)
ですが、霊視によれば、実際の文成帝はフェミニストで、公平にどちらの女性も大事にしたそうなんです・・(驚! 珍しいですよね・・ 普通、中国の後宮、というと、かならず皇帝にえこひいきされる ”寵姫” ってのがいるもんです・・)

女性には、公平にやさしいタイプだったようですね・・ 文成帝は・・。




(文成帝ご本人と同調して繋がったので、どちらを愛していたのか聞いてみました・・!

答えは ・・・

なんと馮太后なんですって・・!)






というのはね、パラレルの神様が説得力のある説明をくださったんですが、

さきほど、文成帝は、 「ずんぐりしたおじさん」のようなルックス、と書きましたよね。

そんなこともあってか、

文成帝という人は、いわゆる女性に溺れるタイプではなく、

馮太后のような誠実なタイプを好ましく思っていたのだとか・・。

皇帝という立場におられましたが、まじめな誠実な男性だったようです。

(仏教の信仰心篤く、北魏の民をねぎらい良い国にするため善政を敷いたパラレルの神様にも覚え目出たい良い帝だったそうなんですね。)

李長楽(チャン・ルー)は、蝶よ花よ・・と華やかな派手な男性にモテるタイプなので、大事には接したようですが、タイプ的には馮太后のそのような誠実さをとても自分と近い者として好ましく思い、愛情を注いでいたようなんです・・





だけどね、容姿的なことで書き連ねていたら、文成帝さん、怒っちゃいましたけどね・・(汗;(゚Д゚;)ヤバイ)




そ、それでね・・、

「孝文帝=※文成帝の孫、の父親は誰か」というウィキの説明にあるように、

文成文明皇后と孝文帝の親子説、文成文明皇后と献文帝のレビラト婚による親子説など、

いろいろ憶測されているようですが・・



霊視によれば・・

未央さん、自分の祖国(北燕)を滅ぼされ、北魏の後宮に入り、文成帝の妃となるのですが、

子供ができなかったんです・・

(*国は違いますが、韓国の朝鮮王朝の正室の方など、子供ができない人ってけっこう多いのです・・)




で、未央さん、子供ができなかったものだから、

「自分の子ではなくても、夫(文成帝)の子供たちを一生懸命かわいがろう・・」と思ったようなんですね・・。

(すごく頭のいい人で、”軍略的な素養のある” 人だから、そういうのももちろんあって・・)

で、

しかも、しっかりちゃんとした帝位につける素養のある子供を見込んで、自分の子供のようにかわいがったのだとか・・



献文帝は、李長楽(チャン=ルー)の子で、折り合いが悪くなり敵対してしまうんですが、

献文帝の子である孝文帝は、未央から見れば、子であり孫のような感じだったのでしょうし、そうやってすごくかわいがってもらったし (だから太后の死後も考を尽くしたのでしょうし・・)、

だから、

孝文帝は、

夫(文成帝)亡き後、 ”軍略的な素養” から、

 ”布陣を敷き” 、絶対的揺るぎない確固たる地位を築いていた馮太后の言いなりというか・・、そういう感じだったみたい・・。




この『王女未央-BIOU-~錦繡未央』というのは、

中国のネット小説『錦繡未央』を元に作られたようで、

「錦繡」というのは、わたしは中国語は分からないですが、

”すばらしい” とかそのような意味ですよね・・



中国王朝の後宮で子供がいない、ということは、圧倒的不利な状況ということですし、

ふつうであれば、勢力争いからは疎外されるか、ヘタすると自分も潰される・・

後継者争いで陰謀渦巻く王朝の後宮で、頭脳戦により、自分の地位をしっかり固めながら、政治的にもお得意の ”布陣敷き” で国家政策を行い、盤石な体制を築いた・・

(※王朝史で、女性で子供なしでこのような権力を手中にできる例は珍しい です・・)




まさに ”「錦繡」” で、

頭がすごくいいだけでなく、まじめでさっぱりした正しい性格のすごく良い性格の女性だったわけ・・




だから、私、そういう馮太后さんの正しい性格、すご~く好きになっちゃって、

文成帝さんのフェミニストで誠実で愛情深いやさしい性格も好ましいし、

同居のスピさん共々、皆で、

馮太后さんと文成帝さんのカップルの御霊がとこしえに幸せであるように、

祈願しているのです・・・。




BIOU.png

野の花が似合う二人・・・

(実際は、素朴な感じのお二人なんです)







でね、後になって、


馮太后さんに関して、

とてつもない悪いこと が分かったの・・・。

(それは、文成帝さんを激怒させることなのですけど・・。。)


文成文明皇后(馮太后)については、『王女 未央』の内容に合わせて、このドラマの物語 の ”雰囲気” を壊さず、楽しむために、とりあえず今回はここまでの内容に留めます。一回ではなかなか書ききれない面がありますので・・

非常に興味深く、

まだいろいろと気になることがありますので、

馮太后さん(文成文明皇后)については、

今回を「前半:」として、また今度、別記事で(後半として)書いていきたいと思います・・





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(エティースと前世の子供Wes&Rao)

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